はじめまして。「ぺんぎん労災」と申します。
ぺんぎん労災のストーリーをお伝えします。
ロングインタビューのような
ちょっと長めの自己紹介です。
はじめに
今日は、ぺんぎん労災について、ふだんは詳しくお伝えできていないことをお話しさせていただきます。
センター長の板倉圭吾と申します。
具体的には、発足までの背景や経緯、今後のビジョン、それから、わたしの想いについてお話しできればと思います。多くの方に、ぺんぎん労災を広めたい。その受け皿として、この場が、より深く知っていただけるご縁になればと思います。
「3・11」の災害応援派遣で石巻へ
現場で感じた労災保険と職員の心強さ。
しかし、助けられない人もいた。その想い。
現場で感じた労災保険と職員の心強さ。
しかし、助けられない人もいた。その想い。
まず最初に、ぺんぎん労災の始まりについてお伝えするには、2011年に起きた「東日本大震災」は、切っても切り離せません。当時、わたしは、労働基準監督署の職員(厚生労働事務官)として、労災保険の業務に従事していました。10年と数年を迎えたころでしょうか。そのころは、税理士ではなかったんです。おおまかな経緯を説明させていただきますと、新卒で銀行員になり、労働基準監督署の職員を経て、税理士になり、ぺんぎん労災を発足します。
「3・11」が起きたときは、すでに、4月1日から札幌→室蘭への赴任が内示されていて、家族と離れる生活を受けとめていたところの出来事でした。東京労働局が中心となって、全国から応援を募った災害応援派遣に志願し、石巻へ行きました。あれは、震災発生から半年ほど経った、9月の末でした。
そこには、心が折れそうになるほどの現状のなか、全国から同じ想いを持った労働行政の職員が集まり、ご遺族のために、迅速で正確な仕事をしている。遺族補償年金の手続きを進めるうえで、初めて顔を合わせた職員同士が、同じ行政のシステムのもとに共通言語を使える。そういった、国家行政機関という組織としての盤石な体制というか、一同にスクラムを組むような連携力の強さを改めて体感しました。とても心強く、誇らしかったですね。そして、社会保険は、ある意味インフラだと、労災保険ってすごいぞと。それでも、助けられる人と、助けられない人がいたわけです。
たとえば、個人タクシーのお父さんですとか、個人事業主のなかでも、一人親方と呼ばれるような、従業員を雇わずに仕事を請け負う人ですね。せっかくのセーフティーネットがあっても、雇用されている方は救済され、雇用されていない方は救済されないという、お役に立てないもどかしさを痛感したんです。たくさんの方に喜んでいただけたのも事実ですが、あのときの、成し遂げられなかった想いの奥に、ぺんぎん労災の誕生が在ると思います。安心・安全を、フリーランスや、あらゆる形態で働く人たちにも届けたい。その想いは、ぺんぎん労災の原点です。
何気ない日常の大切さを教わり、
わたしは、それをできているのかと問う。
人生設計を見直し、2年で税理士試験に合格。
わたしは、それをできているのかと問う。
人生設計を見直し、2年で税理士試験に合格。
被災地で見て聞いた体験から、わたしも人生を大きくシフトチェンジすることになります。石巻では、遺族補償年金の手続きを進めるうえで、たくさんの方のお話しを聞きました。それは、ひとりひとりの命の話です。亡くなった方とご遺族の人生を受けとめ、私たちに伝えることで、少しでも癒やしになればという想いで、務めさせていただきました。
皆さん、こうおっしゃるんです。何気ない日常が大切なんだと。あの日で最後だとわかっていれば、もっと優しい言葉をかけられたんじゃないか。あんなこと言わなきゃよかった。感謝や愛情の言葉を伝えたくても、もう戻れない。いつも通り帰ってくると思っていたのに……。
何気ない日常の大切さ──。遺族の方々があれほどまでの想いで話してくれたこと、それを、わたしができていないじゃないか。ハッとしました。赴任先の室蘭に帰っても札幌の家族と離れて暮らしている。今後、わたしにとっての3・11が起きたとき、家族のそばにいてあげられない。妻と2歳の息子と離れて暮らし、いったいなにを守れるのか……。働き方を、生き方を、わたしにとっての在り方を、本当の幸せについて根本的に見直したんです。
震災から翌年の2012年、第二子を授かり、わたしは決断しました。国家資格の税理士を目指すことを。自分自身がライセンスを持った職業であれば、自分の人生を自分が主導権を持ってデザインできる。なにより、家族のそばにいられる。父としての役割を平常時も災害時もまっとうできる。この働き方を実現したいと思いました。
また、求めるやりがいも変化したんです。税理士という職種は、社長の隣りに寄り添うような感覚。大切な人と同じ目線で、ひとつの課題と向き合うお手伝いをする。これがどうしても、やりたくなったんです。働き方とやりがい。どちらの理想を求めた結果、目指すは税理士でした。あとは実行あるのみ。育児休業制度を活用し、子育てと試験勉強に専念することを決めました。約2年、正確には17カ月で税理士試験に合格することができました。
「ひとり税理士」として、
フリーランスのサポートをライフワークに。
その先に「ぺんぎん労災」発足
フリーランスのサポートをライフワークに。
その先に「ぺんぎん労災」発足
税理士試験に合格後の1年間は、労働局の勤務を継続させていただきまして、その後、税理士事務所に入所します。お声をかけてくれた所長は、尊敬できる方で、転勤のない理想の働き方もできたし、ここでずっと税理士を続けたい。わたしのミッションはひとまず、完遂したと思っていたところ、母に癌が見つかり、その後わずか1年で亡くなるんです。子どもの送り迎えや育児のサポートをしてくれていたのは、母でした。わたしたち夫婦は共働きで、キャリアアップをしたい妻の想いも叶えたいし、家も建てたばかり。ならば、わたしが家事・育児をやろう。育児休暇期間を利用して、子育てをしながら税理士試験の勉強をしていた経験があったので、迷うことはありませんでした。
そして、2017年に「板倉圭吾税理士事務所」開業となります。勤めていた税理士事務所にもご理解をいただき、予想外の独立となったわけですが、そこでようやく、ぺんぎん労災の種から芽が出てくることになります。大きな事務所では扱えなかった、フリーランスのお役に立てる。確定申告セミナーや、お子さま連れでも参加できるイベントなどを通じて、自分の喜びと、やりがいを深めていました。同時に、雇用契約や委託契約のメリット・デメリットの相談も携わり、万が一の事故が起きたときの対策の重要性をより感じたんです。
「労災保険特別加入制度」はすでにあったので、いつか自分で主宰したいと考えていました。そういう団体は、つくれそうだとは、なんとなく知っていて。そんななか「労災保険特別加入制度」の対象範囲が拡大するんですね。ひとり親方や、フードデリバリーにおける自転車配達員、IT関係のフリーランスの方々も入れると聞いて。じゃあ、これはもうやってみようと。税理士として独立して、フリーランスのサポート活動をライフワークとして続けていたなかで、今思うと、実に自然な流れだったのかもしれません。そして、ぺんぎん労災サポートセンターの発足となります。東北大震災でその灯火が生まれ、税理士事務所開業から5年後の、2022年のことです。
わたしは、いつも円グラフを想い浮かべるんです。そのひとつの円のカテゴリーに「儲かるだけの仕事」しかないのは、なんだかつまらない。独立してすぐは、娘がまだ保育園に通っていたので、家庭という円グラフの比率がまだ大きかった。ところが、娘が小学校に入学すると、あれあれ時間ができるじゃないですか。じゃあ、その円グラフにできた空欄に「儲かる仕事」を詰め込むのではなく、そこに「社会貢献」を加えて、わたしの人生の円グラフを豊かにしたい。そう思ったんです。
多くの方に安心・安全を届ける。
「ぺんぎん」らしい歩き方と
その先に見えている、景色について。
「ぺんぎん」らしい歩き方と
その先に見えている、景色について。
ぺんぎん労災は、たとえ、よちよち歩きでも、確実な一歩を優先します。そして、なにより歩き続けることですよね。つまり、当たり前ではありますが、団体が継続して存在することを念頭に置いて活動をしています。その根底に、公正であることが大切だと思っています。元労働基準行政のベテランたちが、培った専門知識とスキルをもとに、補償の手続きを行っています。さらに、税理士だからこそ可能な情報発信を通じて、より確実なフリーランスのサポート活動ができるのも、ぺんぎん労災ならではの安心提供だと、自信を持って言わせていただきます。
そして、災害や事故を防ぐための研修活動に力を注いでいます。なにか起きたときにお役に立てる。でも、なにも起きないのがいちばんです。なにも起きなかったけど、ぺんぎん労災に入って良かった。そう実感していただけるように、いつもただ在りたいと思っています。
最後に、今後の展開についてお話しさせてください。実は、2034年の加入者数「5万人」を目指しています。それは、規模が拡大することで得られるスケールメリットがあるからです。ということは、より一層、ぺんぎんらしくお役に立てることが広がるんです。
具体的に大きなメリットは、労災事故の統計的な見方ができること。保険契約数の分母から労災事故が起きる可能性が統計的に割りさせるので、その数字に基づいた理想的な現場のサポート体制が見えてきます。それができると、労働基準行政を定年退職した方々の安定的な雇用を確保できます。現役時代に培った豊富な知識と経験を活用しないのはもったいないですよね。
次のメリットは、事故を未然に防ぐことがより強化できること。OBOGの先輩たちは、事故防止のノウハウも持っています。職種や業務内容別に、安心・安全のためのリアルな提案を発信することができるんです。その先には、災害時の地域同士の連携や情報発信のハブ的な存在となってお役に立ちたい。そう考えています。理想の加入者数はあくまでも通過点で、その後もわたしがOBOGの方と同じ年齢になったときは、若い方がさらに10年・20年先を見据えて運営してくれたらと、ぺんぎんの長生きを願っています。
現在、ぺんぎん労災サポートセンターは、札幌事務所のほか、東京と福岡の3拠点体制です。多くの方々に、安心と安全を届けたい。この想いに共感してくれた、OBOGの方々のご協力で体制が成立しています。これからも、わたしたちが大切にしている在り方に賛同していただける方と、絆を深めて、広げていきたい。人事やルールのようなシステムではなく、絆という信頼関係でつながっている組織が、この日本にあってもいいよね? そう思うんです。
速く走りたいわけではないし、エサを捕るためだけに泳ぐんじゃない。無理をして、空を飛ばなくてもいい。ファーストペンギンのように大胆な一歩を踏み出す勇気を備えながら、よちよち歩く。確実に一歩一歩。今はまだ、小さな雫のような活動ですが、それは川となり、大海とつながる。継続の先にある景色を見据えています。最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
Profile
板倉 圭吾
ぺんぎん労災サポートセンター センター長
1977年4月、北海道北見市生まれ。牡羊座・O型。
JRタワーや函館山など、高いところが好きで、おしゃれな洋服屋さんがちょっと苦手(試着すると断れないタイプ)。好きな電卓は「SHARP EL-942CX」。
ひと言「ナショナルジオグラフィック日本語版を(1995年・創刊号から)継続して購入しています!」